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日本二十六聖人殉教者に捧げられた教会

カトリック平針教会

     Hirabari Catholic Church

 

7/13 神父からのメッセージを更新しました。

5/18 ホームページをリニューアルしました

5/29 春日井神父様 帰天のお知らせを掲載しました。

  プロフィールと歴史

カトリック平針教会の高い鐘楼

「カトリック平針教会」は、日本26聖人殉教者記念教会として 1979年に創設されました。

京都から長崎までの苦難の道のりを歩み殉職された「日本二十六聖人殉教者」に捧げられた教会です。

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  初めての教会

十字架のイエス様

主イエス・キリストの教えに興味 がある。 教会に行ったことはないけれども、一度行ってみたい。

知り合いがいなくて行きづらい。 そのような方へのご案内です。

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  十字架の道行きの祈り

秋山康恵氏、弟子の足を洗うイエスのレリーフ

聖堂内に秋山康恵氏による、イエス・キリストが 十字架を担って歩んだ 受難の道のりを 描いたレリーフが掲げられてます。ひとつひとつの場面を心に留めて祈り、黙想します。

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築35年経った私たちの教会の建物のリニューアル工事を行いました。

「錆びた部分」「劣化した部分」「タイルの剥離」「汚れ」「雨漏り防水」など工事でした。

 今後も末永く私たちの「故郷の教会」として存続していけるようにご協力をお願いします。

 目標金額は3年間で、リニューアル費用と同額の1500万円にしたいと思います。

  • 1家族、お一人様の献金額は特に定めておりません
  • 1口1,000円を基準に「毎月」でも、「まとめて」でも結構です。
  • 専用の封筒か振込用紙を利用して、献金くださいますよう、お願い致します。
  • 郵便振替口座番号  00860-1-105898    加入者名 カトリック平針教会
教会リニューアル工事献金のお願い

神父からのメッセージ

「春日井神父様の帰天」

主任司祭 森山勝文

 5月20日、正午頃、春日井神父様は老健施設サンタマリアで皆さんに見守られながら静かに息を引き取りました。八十八歳と十ヶ月でした。

続く、通夜の祈り、葬儀ミサは、修道会の慣例を破り、平針教会ですべて行なわれ、松浦司教さまも参列し、大勢の信徒の方や会員の仲間達が祈りを捧げました。

春日井神父様が平針教会の共同体に共に生活するようになって丸八年。私との共同生活もありましたが、信徒の皆様との交流や人が行き交うところに気軽に行ける教会の立地条件は、彼が老後の司祭生活を送るために最適な場所だったのでしょう。

車を運転して乗り込んで来た春日井神父も、一年後の車検の時に車を手放し、地下鉄をつかっての散歩を楽しむようになりました。その後は順調に(?)加齢による体調の不具合がありましたが、司祭館にいながら、生活支援を頂き生活していました。

 昨年の十二月デイサービスに行っている時に、不具合を訴え、入院することになり、最後は老健施設サンタマリアにお世話になりました。肺機能が衰え、誤嚥の危険がありましたが、とろみのある食事を前晩まで頂いていました。その後急に肺機能が衰え、酸素の取り入れが行えなくなり、痛みや苦しみを訴えることなく静かに息を引き取りました。

 ご遺体には修道服を着せ、修道者として自己奉献したしるしのメダイを掛け、棺には、宣教者として派遣された十字架を置き、司祭のしるしのストラを掛けました。そうすべきであったかどうか分かりませんが、人生最後の場面で一緒に生活した者の責任として、そうして上げました。臨終で大切な事は、人生の最後の場面で誰といるかは、死を迎える時の真の安らぎになるということをここでも実感しました。 主よ、永遠の安らぎを彼に与えたまえ。

主よ、永遠の安らぎを彼に与えたまえ。

春日井神父様の帰天

コラム

人間性が問われる

主任司祭 森山勝文

 またぞろ、原発再稼働が動き始めた。辺野古の埋め立ても始まった。

 この二つは、同じ ような「支配者の動き」に見える。また国民が何を考え、政治が何を選択するかの試金石 に見える。

  原発の再稼働は、先の原発事故の処理は全くできていないにもかかわらず、いいところ 「解決の計画ができた」というレベルで、「解決できたよう」に錯覚させ、稼働を始める 理由にしている。

 一、二年では何ともならない、数十年単位、百年単位で見るべきことを いかにも解決したように弁明する。原発再稼働については、経済効果と温暖化が主張される。正常に動く限りその主張は正しいかもしれない。しかし、事故によって生じた経済の 損失は計算されない。人間は便利さだけを求めるわけにはいかないことに気がつかない。 いや気がついたら、「仕事がなくなる」ので気がつきたくないのだ。「臭いものには蓋」 という陳腐な感覚でいるようだ。

 辺野古の埋め立ても、どうせ先のことと何十年前に決めたことをそのまま実行しようと している。そして「危険な基地の移動のためにはここしかない」と主張する。住民の率直 な反対にもかかわらず、ここは「お国のため」と言ってごり押しする。「国は国民のため にあるのであって、国民は国のためにあるのではない」という当たり前のことが通らない。

 そして、こちらの認識が間違っているのかもしれないと思わせる。

 しかし、信仰上の迫害 を受けた者の血が流れている私には、力ある者が自分の名誉のために支配し、多くの人を 虫けらのように扱った事実を想い出させる。

 便利さを求め、権力者におもねる国民はそれ だけの意味しかないのかもしれない。 「爆買い」が話題になっている。経済効果があると関係者は喜ぶ。しかし、そうだろう か。「それって、何か変」と思いながらも、売れるからいいかと関係者は喜ぶ。わざわざ 海外旅行までして買う品物か?と内心、「何か変」と思っている。

 と思っていたら、日本 でもこの数年「ハロ ーウィン」で馬鹿騒ぎが報道される。「ハローウィンは信心業の一 つ」などと野暮なことは言いたくないが、なぜそれほどまでにはしゃぐのか、分けがわか らない。

 「ちんどん屋さん」のコンクールがあるそうだが、いっそのこと「仮装大会」と 銘打ってはしゃぎ回ればと言いたい。ブラジルにカーニバルがあるように。

 人間がだんだん薄っぺらになってきた。 自己主張だけで、相手の思考を認めない人間は、 近くでは「いじめ」や「虐待」などをおこない、「強行採決」もいとわない。遠くはテロ や暴動を楽しんでいるように見える。このような思考の人間に「真・善・美」などいらな い。ましてや対話も赦しもない。自己主張だけである。彼らには「物質的豊かさ」さえあ ればいいのだろう。真理を求めなければ生きる意味を見いだせない人間が路頭に迷う姿は 哀れ。   (ルカ)

平針教会だより 230号より

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