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日本二十六聖人殉教者に捧げられた教会

カトリック平針教会

     Hirabari Catholic Church

 

年末年始 ミサのご案内

  • 12月18日(日)  親子洗礼式

  • 12月24日(土)  19:00 主の降誕深夜ミサ
    (夕方5時からのミサはございません)

  • 12月25日(日)   9:30  主の降誕祭ミサ
  • 12月31日(土)  10:00 感謝ミサ 

  • 1月1日(日)  0:00(深夜) 新年ミサ
  • (夕方5時からのミサはございません)


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  プロフィールと歴史

カトリック平針教会の高い鐘楼

「カトリック平針教会」は、日本26聖人殉教者記念教会として 1979年に創設されました。

京都から長崎までの苦難の道のりを歩み殉職された「日本二十六聖人殉教者」に捧げられた教会です。

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  初めての教会

十字架のイエス様

主イエス・キリストの教えに興味 がある。 教会に行ったことはないけれども、一度行ってみたい。

知り合いがいなくて行きづらい。 そのような方へのご案内です。

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  十字架の道行きの祈り

秋山康恵氏、弟子の足を洗うイエスのレリーフ

聖堂内に秋山康恵氏による、イエス・キリストが 十字架を担って歩んだ 受難の道のりを 描いたレリーフが掲げられてます。ひとつひとつの場面を心に留めて祈り、黙想します。

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築35年経った私たちの教会の建物のリニューアル工事を行いました。

「錆びた部分」「劣化した部分」「タイルの剥離」「汚れ」「雨漏り防水」など工事でした。

 今後も末永く私たちの「故郷の教会」として存続していけるようにご協力をお願いします。

 目標金額は3年間で、リニューアル費用と同額の1500万円にしたいと思います。

  • 1家族、お一人様の献金額は特に定めておりません
  • 1口1,000円を基準に「毎月」でも、「まとめて」でも結構です。
  • 専用の封筒か振込用紙を利用して、献金くださいますよう、お願い致します。
  • 郵便振替口座番号  00860-1-105898    加入者名 カトリック平針教会
教会リニューアル工事献金のお願い

神父からのメッセージ

一足先に教会暦の「新年」が始まりました。教会暦は、救いを求める人間の姿を思い出させ、救いが与えられたこと、その恵みを生きていること、そしてその完成を思い出させる暦です。

 今年も教会学校の子供たちは、「クリスマスを待つ」をテーマに聖劇を発表する準備に取り組みながら「救いと待つ」を経験しています。 さて大人はどのように準備しましょうか。

 私はこの季節を迎えるに当たって、今年は特に気になることがありました。それは日常使う言葉についてです。「救い」という言葉と「待つ」という言葉の内容です。 「救い」を求めて、「幸せ」を求め、「理想」を求めて個人も、社会も、世界もすべてが動き回っているようです。そこでこの季節のテーマ、「救い」とは何をいうのだろうと思う。誰でも救われたい、幸せになりたいと思いながらも、それぞれが勝手に模索し、混乱の中にあるようです。

 しかし、主が示されるところに「救い」があるのであって、人間の勝手な思い込みの中にはない。待降節第一日曜日のミサの朗読聖書はこの姿勢を指示しています。『主は私たちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』(イザヤ書)救いは「主が示される」のを忘れないようにしたい。 さらに「待つ」とうこの季節の姿勢も何をいうのだろうか。待つ姿勢にもいろいろある。寝て待つのも姿勢、やたらに右往左往するのも一つの姿勢、自己実現を求める姿勢もあるかもしれない。

 パウロは「闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身につけよう。キリストを身につけよう」と勧める。マタイ福音では「目を覚ましていなさい。いつの日、主が来られるか分からないから。」ともいう。 「人間にとっての救い」、「救いを求めての待つ姿勢」は、私たちにさらに深く「救い」と「待つ」を考え、覚悟することをこの季節は迫って来るように思う。 。

平針教会だより238号 より


コラム 「神父のやぶにらみ」

 最近、高齢者の自動車事故が多く報道される。しばらく前までは、医療事故や福祉施設での事件が多く報道されたようだが、今はなくなったのだろうか。報道が最近少なくなった。

 高速道路をよく走る私にとっては、高速道路での逆走が気になり、高速道路でのパーキング利用の時に、観察することが多くなった。

 そこで気がついたのだが、最近の高速道路のパーキングはやたら広くなり、トイレがきれいに広くなり、気持ち良くなった。しかし、どちらも出口を迷うことが多い。 以前パーキングは、あまり広くないので、駐車した方向にでることが簡単だったが、最近は駐車場がやたらに広く、駐車の向きがいろいろなので、駐車の向きによっては出る方向がわからなくなる。

 まして、以前は「本線」という表示が大きく地面に書かれ、看板もどこからでも見えるところにあったが、今では、消えかかったり、小さかったり、トラックやバスの陰になったり本線を探すのに苦労する。

 判断が鈍って逆走するのは問題外だが、判断が鈍りそうな時になったら、運転しなくてもいい社会にならないものだろうかと思う。自動車が「自動」になり、飛行機のような電車(リニアモーターカー)が走ったところで、社会に、人にどれだけ優しいだろうか。(もりやま)

平針教会だより238号 より